WORDs from North Dakota

2006年11月25日土曜日

気持ち

よく日本にいた頃、(特に)フットボールに関して<気持ち>ってのをよく聞いた。まぁ多分それは<気合>ってのと同じ意味じゃないかとおもうんだけど・・・。だと仮定して、アメリカでフットボールチームに数年間携わったことで、その<気持ち>っちゅー言葉に違和感を感じざるを得ない。

昔からよく言われることで、日本のスポーツは根性論、そしてアメリカは技術論と。(ここではフットボールだけに関してですが)<気持ち>どの分野でも必要なことなわけで、例えば・・・スポーツ、勉強、恋愛しかり。。。でもスポーツ、特にフットボールは必要な技術を必要なタイミングで、必要なだけ発揮できることが最も大切なんじゃないかと。つまり<気持ち>が空回りしてしもたら、元も子もないんとちゃうか・・・と。もちろんメンタルな部分はトレーニングされるべきやと思う。(どんなバックグラウンドの人がやってるかモノスゴク気になるけど)最近流行(?)のメンタルトレーニングってやつ。

ウチの監督の尊敬するところは、一度前半終了時点で0対24で負けてた試合のハーフタイムに選手をまったく叱責しなかったところ。フットボールをよく知っている方ならご存知かと思いますが、前半終了時に24点差は致命的な点差。ほぼ逆転は不可能・・・(だと思う)。そんな試合で日本人ならどういうコメントをするだろうか。<気持ち>が足りない・・・。<気持ち>をもっと出せ。みたいな・・・かな。その時の監督のコメントは"BISONフットボールはこんなに弱いチームじゃない。一人一人が各自すべきことを実行しなさい。アシスタントコーチの話をよく聞いて、彼らが出す指示に従い、遂行すればこの試合を逆転できるぞ。"(うまく訳せへんけど、こんな感じ)

このコメントの中で<気持ち/気合>を表す言葉は・・・僕にはよく分からない。ただ、指示の内容が具体的(おそらくアシスタントコーチの指示はもっと具体的だと思う)でわかりやすい。

もちろん、これは(おそらく)NDSUに限ったことではなく、アメリカで一般的に考えられていることだと思う。これがアメリカでコーチという職業がプロフェッショナルな職業として成り立つ背景じゃないのか。つまりどこが弱いのか、どこがよくないのか、どこを修正すべきか分かっている点が<気持ち>を前面に出す日本のコーチとの違いじゃないかと・・・。

とにかく、一人一人が成すべき事を成す。それが結果的に勝利につながる。僕はそう思う。


今日は立命館大学パンサーズがKGとの最終戦。選手には<気持ち>を前面に出すよりも、成すべきことを完遂してもらいたい。まぁこの辺もちょっとアメリカナイズされてきてるんかなぁ。

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