WORDs from North Dakota

2012年2月6日月曜日

911ではなく311

アメリカ同時多発テロを題材にしたFaurenheit 911ではなく、東日本大震災を題材にした映画「311」。

海外では亡くなった人にカメラを向けることもよくあるようだけど、日本ではなんとなくタブーなのかな。それとも、容疑者の手錠にモザイクかけるのと同じ感じで、報道協定でそういのって決まってるのかな。
蛇足だけど、実況見分なんかで、容疑者が警察から支給された”お揃いの”紺色ジャケットの意味ってなんやの?容疑者の写真がテレビで公開されてんのに・・・意味がチョットわかりませんな。でも、40歳くらいの容疑者のテレビ公開写真が高校の卒業アルバムからっつーのは、どうにかならんかね?

閑話休題。日本人は独特の生死感を持っているんじゃないかと思う。というのも、やはり海外と比べても亡くなった人への念、あるいは扱い方が違っているからだ。近隣諸国(特に特亜)と比べても、日本のそれは全く違ったものだと思われる。そんな日本の文化を大切にしているからこそ、いやもしかしたらただ単にショッキングだってことだけなのかもしれないけれど、日本のメディアは死体の映像、あるいは写真を絶対に公開しない。その姿勢には賛成する。
一方で、(たとえショッキングだとしても)そのような映像・写真を公開することで、真実を伝えるってことにはならないだろうか。もちろんショッキングな映像・写真が抑止力になるかもしれないが、同時に助長するかもしれないと賛否両論があることを承知で言うが、現実から目をそらして生きることにより、あるいは現実を知らずに生きてしまうことにより、ゲーム感覚で殺人を犯す若者がいるのかもしれない。

80年代に豊田商事の詐欺事件で二人の男性がメディアの目の前で人を殺めた後、室内で倒れている詐欺師の写真を公開して問題にもなったけど、真実から目を背けることの弊害ってなんだ?ショッキングな映像を公開する場合は、予め警告をした上で公開ってわけにはいかないのかな。

そんなタブーを破った「311」。東日本大震災の真実を伝える趣旨で撮られたモノらしいが、これは賛否両論、一騒動起こりそうな予感。

臭いものには蓋をしろ、ではいけないと思う。エスキモーは幼児の手を暖炉(ストーブ?)に当てて軽く火傷させるらしい。そうすることで、暖炉が熱く危険なモノだと学ぶのだ。ただ単に、臭いからと(中身が何かも見ずに)蓋をしてしまうことで、臭いものか何なのか、どうやって臭みを取り除くのか研究するチャンスを失っているようにも思う。
真実を真正面から受け止め、対処していく。バカ正直な正攻法ではあるが、それが必要なことも多々あるのではないかと思う。

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