WORDs from North Dakota

2012年2月17日金曜日

スポーツの力

小生、微力ながらもスポーツ界で働いております。

この度、東京都が三度(っていうかホント何度目?)オリンピック招致の申請をしたんだってね。石原都政云々は言いませんが、オリンピック招致のコンセプトに関して異議アリ!
今回のオリンピック招致のコンセプトは「スポーツの力」=「パワー・オブ・スポーツ(Power of Sports)」だそうな。「私たちはスポーツの力を信じ、東京開催で”元気”、”夢”、”誇り”を取り戻す”日本復活オリンピック・日本復活パラリンピック”にすること。それが私たちの信念。」と発表されたのだが・・・なんだろう、なんか納得できない。

スポーツがそれを観る人々の感情を刺激すること、あるいは揺り動かすことはもはや異論はない。勝つ、負ける、接戦、努力、懸命、様々なシーンを見て我々の感情は様々に変化する。興奮、驚愕、尊敬、親しみ、憧れ、勇気、無念、嫉妬、期待、切なさ、あきらめ、はたまた優越感や劣等感などスポーツによって揺れ動く感情は様々である。

しかし、オリンピック招致によって国民が「元気・夢・誇り」を取り戻せるのか?甚だ疑問である。

スポーツ界に関わる小生が申すのも不思議に思われるかもしれないが、スポーツを楽しめるのは衣・食・住がそろってこそである。つまりまずは被災した方々、そして被災地域の復興が行われるものであると考える。オリンピック招致が2020年だというので、その頃には彼らの生活もある程度は落ち着いているものと思われるが、原発事故に関しては2020年といえども、処理は難しいと思われる。また、原発事故により避難されている方々が故郷に帰れる日が来てこその復興だとすれば、2020年はまだ早急すぎるのではないか。そして津波の被害はもしかするとほぼ跡形もなく復興しているかもしれないが、避難されている方々の生活、あるいは心の傷は癒えているのだろうか?また、震災に関連した訴訟なども被害の規模を鑑みると解決できているとは、思えない。
もしオリンピック招致により、あるいはスポーツにより彼らに「元気・夢・誇り」を与えられると思っているなら、それは驕りだ。大きな間違いだと思う。また”日本復活オリンピック・日本復活パラリンピック”を謳うのであれば、すべての被害、そして被害を受けた人々の”復活”がなされた時こそ、世界に日本復活をアピールする時期ではないだろうか。一番の弱者を置き去りにした「元気・夢・誇り」には”お上”のボケっぷりに失望感すら覚える。もし、スポーツに「元気・夢・誇り」を国民に与える力があるのであれば、なぜ震災直後にプロ野球やJリーグが延期されたのか?あれは単に喪に服するという意味だったのか?

もし本気で2020年にオリンピック招致を”日本復活”スローガンの下開催する気であるならば、たとえ事故原発は安定した状態に保たれているとしても、(原発事故を含め)被災したすべての方々の生活基盤が復興されていなければならない。それが本当の意味での”日本復活”の姿である。なぜなら、被災地そして被災した方々が日本復活の主役であるから。

2020年までに本当に復興していることを願ってやまない。

宙紀さん・・・静電気でフリップにいらん紙がくっついてまっせ、な動画

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