WORDs from North Dakota

2012年2月9日木曜日

保存される人達

世界中には未だ「未接触部族」といわれる部族が多くあるとされている。

研究者達は彼等との接触を極力控えることにより、彼等の生活を守ろうとする。また国家としても観光客等に彼等との接触を避けるよう呼びかけている。そうすることにより、未接触部族は限りなく未接触部族であり続けることになるのである。

これは”現代人”のエゴであろうか?

地球上に存在するものほとんどが古代より姿を変え、また絶滅し、あるいは新種の誕生を繰り返してきたと考えると、未接触部族が現代文明と触れることも一つの必然と考えられる。しかし、われわれ人間は発達しすぎたのかもしれない。ヨーロッパで起こった産業革命に端を発する行動範囲の拡充、地球上の至る所まで行き着き、果ては南極点・北極点にまで達した。古くは犬ぞりを使い、今や車や飛行機までもつかい容易に世界の隅々まで到達するようになった。そして古くは白欧主義的な振る舞いで多くの他人種の生存を脅かすにいたった。アフリカ大陸の奴隷貿易然り、南アメリカの文明破壊然り。果てはアジアにまでその脅威は及んだ。

そして現代、過去の行いを悔いているのかいないのかわからんが、様々な種が保存されようとしている。それは現代に於いて、現代とは隔絶させることをである。まったく反対の行動なのだ。多くのそれが欧米人によって主導されていることも、また興味深い。

さて話を戻そう。
1980年代にパプアニューギニアで(実際にはそれ以前に白人との接触が数回あったらしいが)未接触部族との接触を試みた白人の記録映像が残されている。おそるおそる近づく部族の人々。それに対し、欧米文化(握手を求める)で接しようとする白人。現代文明を謳歌することの男は、”俺の方が、お前達より偉いのだ”と言わんばかりの態度で、金属製ナイフを自慢げに見せる。上から目線である。もちろん、彼の行動が彼の興味から来るものであったとは思うのだが、なぜかやるせない気持ちになるな。現代人のエゴだ。

一方、最近ペルーでも未接触部族が発見されたらしい。その動画には部族の人々を刺激させないために”飛行機”で何キロも先から撮影したらしいが、それでも彼等の上空を飛行機で飛ぶことすら、すでに彼等の生活を脅かしているのではないか。もし本当に刺激を与えないのであれば、撮影を試みることすら控えるべきだ(だった?)。しかしここでも現代人のエゴで撮影が行われている。

未接触部族との接触がもたらす影響とは一体何なのか。未接触部族が現代人との接触を望んでいるのかいないのか、ここから問題に取り組まなければならない。しかし多くの場合は、現代人のエゴによって接触の有無は決定されるのである。もちろん過去において、未接触部族の現代人との交流により、絶滅した部族があることも忘れてはならない。しかし彼等未接触部族を人間動物園にしてはならない。彼等の”意志”が尊重されるべきだと思うのは、これまた僕のエゴか。。。

自然保存、動植物の種の保存。人間は様々なものを残そうとしているが、気候・環境、そして文明・文化が変化をしていくのに、地球上の一部だけを”時間よ止まれっ!”の大合唱で保存することが果たして・・・。もちろん人間が手を下さないで、自然の摂理にすべてを任せるのがいいのだろうが、これまた僕のエゴか・・・。

おそらく地球上の多くを”支配しようと”奮闘する人間は、自然現象をもコントロールしようとしてくのかもしれない。北京オリンピックで雨雲を”蹴散らした”事も人間のエゴであろう。しかし、未接触部族も我々現代人と同じく”考える葦”である、意志がある。彼等が近代化を望むのであれば、それもまた自然の摂理なのではないだろうか。そうなれば、最初に現代人との交流を持った人が、彼のエゴによりその部族を支配していくと思われる。そしてその部族は絶滅するのである。何をもって人格者とするのかはわからんけど、優れた人格とリーダーシップを持った人の存在が望まれるであろう。そこには人格者のエゴがないとの仮定の下であるけど。

話をもう一つ飛躍させるとしよう。仮に、地球人が高度な文明を持った地球外生命体との接触に成功したとしよう。さすれば、最初に地球外生命体と接触した地球人は彼等の高度な技術を取り入れ、”自ら(国家)のエゴ”に従い、他の地球人を支配するためにその力を”利用”するであろう。信じてはいないが、興味がそそられるエリア51では一体何が起こってんのかね。


あ・・・・そもそも言葉が通じひんのに、どうすりゃええんかね・・・・。

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