WORDs from North Dakota

2012年3月3日土曜日

挙国一致かと思われた絆のつよさ

東日本大震災から早1年が経とうとしていますね。今回の震災が過去の震災と大きく違う点が2つ。地震被害そのものに加えて津波被害が加わり、さらに原子力災害が伴っているという点。この未曾有の被害に立ち向かうべく国内だけでなく世界中から支援の手が差し伸べられたことには感謝の言葉で溢れんばかり。国内でも募金活動や(現地に入っての)ボランティア活動が大きく取り上げられ、1年近く経った今なお多くのボランティアの方々が復興支援に尽力されている現実には頭が下がるばかりだ。

しかし、挙国一致と思われた復興支援が幻だったと思わせる2つのニュース。

青森の雪 那覇へ送る催し(朝日新聞)

がれき受け入れ86%が難色 放射性物質の拡散懸念(西日本新聞)

えぇぇっぇぇ!?放射能から逃れるために沖縄に移ったの!? まぁそれくらい神経質な人だからこそ沖縄まで逃げて行ったんだろうけど、こんな人たちの為に雪を楽しみにしていた沖縄の子供たちがアオリを受けるとは・・・。数日前に書いたけど、多数決の論理だけで果たしてよいのか?という疑問に最悪の形で答えているのが上に上げた1つ目のニュース。ごく少数の意見を聞き入れたために、多数派の意見が無視された形となってしまった。
自治体の政策決定の過程で、少数意見を尊重することも大切だが、多くの場合が"多数派vs少数派"と言うより"どちらが声を大にして訴えるか"によっている気がする。そして声を大にする人々は概して”ちょっとイカレてるっぽい人たち"。自分のことしか考えない人たち。自分の身は決して削ろうとしない人たち。協力は金をばら撒くことだと思っている人たち。かつて(いまでもですが)中東に派遣された自衛隊のようですな。お金は出すが、身は削らない(命の危険は冒さない)。
挙国一致でがれきの処理もされると思いきや、各自治体は難色を示しまくってる上に、半分以上の自治体が考えてもいないだと?震災直後には様々な物資を贈って協力した自治体も多かったと聞いているが、協力を要請されても知らんっぷりかいな。これじゃ協力の押し売りやないか。時間とともに必要とされる物資や協力の形が変わっていくのだから、なんだか一過性の協力が押し売りに見えて仕方ない。

震災後に称えられた"絆"ってなんやってんっ!?

各自治体にも様々な理由があると思われるが、物理的ながれき処理能力よりも放射性物質の拡散を恐れているように思われる。これは沖縄に贈られた雪と同じやないか。この震災は日本の東の方の海岸で起こった出来事で片付けるにはあまりにも大きな震災。国民一人一人ができることをできる範囲内で協力し続けてほしいと思う。けっして一方的な押し付け協力ではなく、日本復興を自覚した協力体制が求められる。そのためにはある程度の"愛国教育"が必要だと僕は考える。日本があまりにも偏った"個人主義"に傾倒しつつあるのではないかと懸念する。

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